還暦の向こう側の住人

平塚、大磯を散歩しているオヤジのブログです

老々介護 母の退院が決まりました

 ブログを始める大きなきっかけの一つは、87歳になる母の乳がんが5月に見つかったから。

 70歳頃に糖尿病を発症した母。その後10年以上に及び面倒を見ていただいた掛かりつけの医者からHbA1cが10%を超えているので平塚市共済病院の紹介を受け、糖尿病の治療を始めたのが4年前。1週間超に及ぶ入院で投薬、食事療法、インシュリンの皮下注射による治療で、血糖値も下がりヘモグロビンA1cの値も7%程度に下がって退院。以降、朝晩のインシュリン皮下注射が私の日課となりました。

 朝は7時半前後、夜は母が夕食を終えて入浴前後の8時くらいに私は家に居なくてはならなくなりました。当時、私は外資系の会社で北関東の代理店をコントロールする仕事についていました。家が神奈川県平塚のため、栃木、群馬はおろか埼玉や千葉でも遅くとも8時半までに家に戻るには4時とか5時には客先を後にしなければなりませんでした。

 ただ、幸いにも数か月してインシュリンの皮下注射の効果が出てきて夜の皮下注射をせずとも、夜は投薬だけで血糖値を何とかコントロール出来るようになりました。とは言え、血糖値測定は朝、晩測定しないといけないので遠地での営業の場合は早めに仕事を切り上げる日々は続きました。代理店と共に戦うメーカーの営業としては何とも士気の下がる思いで、結構辛かったです。

 と言うような事情があり、定年後の再雇用の条件が折り合わず、9月の定年を待たず夏の賞与をもらって退職する事としました。捨てる神あれば拾う神ありで退職後2週間そこそこで自宅から30分程度で母の介護にも理解を示してくれる会社に再就職。

 母の血糖値も朝1回のインシュリンの皮下注射で何とかHbA1Cが7%~8%の間で落ち着いていたのですが、共済病院の担当の先生とは夜も皮下注射を打つよう治療の方針を変えた方がよいのではとの提案をいただき、そろそろ母の介護に専念するためにも65歳まで働ける会社でしたが退職する事となりました。

 退職が決まり、有休消化をしていた6月は生検の結果乳がんが確定との診断を受けました。7月の入院に備えて歯科医と白内障の治療の為に眼科医を受診。そして乳腺外科では造影剤を用いたCTや全身のMRIさらには乳腺に特化したMRIなど毎週のように病院通い。

 検査の結果は他への転移は見られていないとの事でしたが、右の乳房にがんが見つかったこともあり右の脇周辺のリンパに関してはそれなりに切除をするがリンパの生検の結果、退院後に治療方針については改めて話し合いましょうとの事。入院前の糖尿病の検査で内分泌科の先生からは手術するには血糖値が高いので手術の4日前に入院して病院で血糖値を下げて執刀しましょうという事になり7/12入院。7/16手術となりました。

 妻の母はホームに入っているもののその世話もあり、私の弟も仕事があり、東京都と入っても高尾に住んでおり戦力外。ですので入院前の診察や検査そして入院中の着替えや様子を見に行くなど全て私一人で行っています。また、この間に初めてケアマネージャーの方に退院後の生活の支援などについて相談をさせていただきました。地獄に仏と言ってよいのか親切に対応いただき継続的なサポートしますよと励ましていただき少し気持ちが楽になりました。

 昨日も病院に行ったのですが、リンパを切除したため、排出できないリンパ液等々を管を使って専用の袋に溜めていたため、退院日が確定できなかったのですが本日、ドレインが取れたので25日、日曜日には退院できるとの電話を看護師の方より頂きました。

 退院する母のために介護保険は適用できませんでしたが、電動のベッドをケアマネージャーさんの手配でレンタルできたのでいよいよ明後日から、妻とともにそれぞれの母親のさらに一歩踏み込んだ老々介護のスタートになることと思います。

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