還暦の向こう側の住人

平塚、大磯を散歩しているオヤジのブログです

老々介護 97歳11か月、お義母さん大往生ですよ!

 昨晩、義母が入所している老人ホームの方より「もう危ないかもしれません」との連絡を受けたので、母の世話がある私は後から行く事として17時過ぎに妻だけ老人ホームへ向かいました。その後、義母を自分の母のように慕ってくれる妻の従弟も老人ホームに来てくれたので二人で義母を見守っておりました。

 20時過ぎに私も老人ホームへ向かおうとしたところ、妻から連絡があり「小康状態なので一旦家に帰る」との事。20時半には帰宅した妻に義母の状況を聞くと、「呼吸は早いがよく眠っており、従弟と相談の上、戻る事とした」と説明してくれました。看護師さんも18時前後で勤務を終えて帰宅されたそうですが、義母に何かあれば駆けつけてくれるとの事でした。

 22時頃就寝いたしましたが、妻も私もいつ呼び出しがあるか、気が気でなくうつらうつらしていた夜中の2時少し過ぎに家の電話が鳴ります。看護師さんからの電話で「呼吸が止まっているので施設にお越しください」と連絡を受けました。妻と二人、そそくさと身支度を整え、車で老人ホームへ向かい2時半には到着。

 帰宅されていた看護師さんがすでにいらっしゃり、早速義母の部屋へ。そこには、穏やかな顔で眠っている義母がおりました。この2週間の激的な義母の様子の変化を見てきた妻はとうに覚悟が出来ており、母の顔を撫でながら冷静でした。

 老人ホーム専属の医師が4時には到着するのでしばらく待つよう言われたので、老人ホーム側が用意してくれたCDプレーヤーから流れる静かな曲を聞きながら妻と二人で義母を前に先生の到着を待っておりました。5年も入所している義母なので看護師さんそして予定の4時よりも早く到着して頂けた先生も義母の事をよくご存じなので「気丈な方でしたよね」等と声をかけて頂きました。

 先生が死亡診断書を書く間に、葬儀屋さんへ連絡を取ると、こんな時間なのにコールセンターの担当者が丁寧に対応してくれ30分ほどで遺体を引き取りに来れると言っていただき、その対応の速さに驚くばかりでした。独り暮らしとなった義母の家は義母が老人ホームに入所したため、取り壊され義母には帰る家がありません。老人ホームで義母の遺体を預かってもらう事も出来るのですがコロナ禍の為、葬儀前に親戚が会いにくるのも大変なので斎場に付設されている部屋に安置して頂くようお願いする事としました。(そこではお線香も上げられます)

 葬儀屋さんを待つ間、後から到着された看護師さんとお二人で義母の体を拭いていただき、パジャマから洋服に着替えさせていただきました。さらにはお化粧まで施してくれました。部屋に呼ばれた妻と私は、こざっぱりとした洋服に着替え、本当に眠っているような義母の頬にはファンデーション、唇には紅がさされていしました。この姿を見た妻は「こんなんにしていただけるなんて!」と甚く感激をしておりました。亡くなったばかりの義母を義母の服の中から綺麗な服を選びお化粧までして頂けるとは思ってもおらず、妻のみならず私も施設の対応に感謝の念を抱かずにはいられませんでした。

 4時半には葬儀屋さんが到着、先ほど先生に書いて頂いた死亡診断書(これが無いと火葬場の予約が出来ません)を渡し、義母はストレッチャーで運ばれそして葬儀屋さんの車で斎場へ向かう事となりました。老人ホームの玄関ではセンター長さんそして看護師さんお二人が我々と一緒にお見送りをしてくださいました。その後、妻と私はセンター長、看護師さん達に再度お礼を申し上げ5時過ぎには帰宅致しました。

 帰宅後は妻と二人、軽く仮眠をとり朝食後の9時過ぎからは、お寺の住職へ義母が亡くなった事を連絡、住職の都合の良い日を伺いそれを葬儀屋さんへ連絡。その後は葬儀屋さんが火葬場、斎場そしてご住職の予定を考慮して葬儀の日時が来週の月曜と決定されました。義母のご遺体を4日間も安置するのは忍びないのですがご住職と火葬場の予定を合わせると最短でこの日になってしまい、つくづく2年前の父の葬儀は何事もなくスムーズに執り行えたことが幸運だったと思い返されます。

 寝不足気味ではありますが、午後の3時半からは葬儀屋さんと最終的な葬儀の内容を決める打ち合わせがあり、明日はご住職と戒名を決める打ち合わせと何かと気ぜわしい日が続きますが、98歳目前で大往生した義母に敬意の念を表すとともに体調を整えながら、無事葬儀を終えられるようにしたいと思います。

 更に感傷に浸る間もなく待ち構えている老人ホームの自室の整理や役所や銀行などの手続きでは、妻をサポートしていきたいと思います!