還暦の向こう側の住人

平塚、大磯を散歩しているオヤジのブログです

読書感想 「乱読、本が本を呼ぶ?」 「親鸞」と「サラバ」

 私と読書の関係は遡ること50年近く前の中学生の頃でした。当時は明治文学、第三の新人と呼ばれた作家や安部公房星新一、海外文学は定番のヘミングウェイ、ヘルマンヘッセ、スタインベックなどなど・・・・中学生で分かるの?って感じでしたが色々と読んででました。

 しかし、そこで読書熱は冷めてしまい、あれから50年(笑)

 昨年のcovid-19禍、この先どう仕事をしたら良いのだろう。パンデミック下で誰も正解を知らない混沌とした1年間、私は本の中に答えを見出そうと再び、読書に触れることとなりました。しかし、読書のペースがそんなに上がるわけもなく月1冊読むかどうかって感じでした。

 そしてリタイアを強く意識し始めた2021年、有り余るであろう時間の中で如何に時間を使うのか?結果、活字の森の中にいる楽しさを強く実感できるようになりました。

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 さて、前置きが長くなりました。

 読書感想を。とにかく手あたり次第、乱読しているのですが、何冊か読みだすと複数の本を通して見えてくるものがあるように思えてくるようになりました。 

  

  五木寛之さんの視線を通して高野山から野に降りた法然上人に師事した親鸞の物語が書かれています。歴史物、仏教物と思うとなかなか手を付けられない本かもしれません。事実、私も図書館でこの本を借りたは良いのですが積読状態。

 しかし、読み始めると高名な宗教家でありながら阿弥陀如来を信じるということに、ただただ真剣に対峙しおよそ悟りの境地とは真逆の苦悩の中で親鸞がもがきながら生きていたことを知らされました。 

 

  一方、西加奈子さんのサラバは一人暮らしを始めた娘の部屋の本棚に置いてあったので読み始めました。

 直木賞受賞作で当然、高く評価される書評が沢山あります。しかし、私が還暦越えのオヤジだからなのか、読書中、圷(あくつ)家の父、母、姉そして主人公、歩の4人家族の関係性やその行動に終始覚える違和感と不快感の理由は何なのか?とにかく、嫌な気持ちを抱きながら、でもこの先どうなるのか・・・。そんな気持ちで読んでいました。

 父の赴任先のイランで生まれた主人公の歩は優等生として生きることを良しとして周囲の仲間や大人の顔色をうかがいながら、姑息にいつも安全な場所を確保して生きる。そんな彼とは対照的にどんどんと引きこもりなどと言葉では片づけられないほど異常なまでに孤立していく姉、貴子。

 歩と貴子はイラン、日本、エジプトそしてまた日本に戻り小学生、中学生時代を過ごします。彼らが年を重ね、大人になるにつれてどんどん彼らの状況が大きく動いていきます。

 優等生だった歩はもはや世間一般から言えば落伍者。脱することのできない自己の闇の奥の奥でもがいていた姉は伴侶を得、信じることとは何なのか。彼女なりに長い長い苦悩の末、一つの結論にたどり着きます。

 この2冊に共通点があると思うこと自体が違うのかもしれません。しかし、これらの本を読んで共感される方がいるということは、自ら信じるということは何なのか?それを問い続け、答えを見出すことが大変難しいことである事を理解されているからではないでしょうか。